朝食について

お題「朝ごはん」

 

 

一緒に暮らすなら、

おいしい朝ごはんを作ってくれる人がいい。

 

 

贅沢な暮らしをしたいと思う。

それは駅近の綺麗で広いマンションに住みたいとか、ブランドものを日常的に使いたいとか、毎日着ても着足りないくらいたくさんの流行りの服に囲まれたいとか、そういうことではなくて。

例えばそれは夕焼けを見ながら歩く帰り道、目的地のない真夜中の散歩、あるいは着心地のいい部屋着、そしてお気に入りの食器で食べる、とびっきりの朝食なのである。

朝は何かと忙しい。特に一人暮らしをしてから、ご飯というものを粗雑に扱う日々だったりする。おいしいものは好きだけれど、自分が食べるためだけに毎日おいしいご飯を作るのは至難の技だ。朝ごはん。それは優しいお味噌汁の匂いと炊きたてご飯、そしてふわふわのだし巻き卵、もしくは淹れ立ての珈琲とバターを焼き付けたトースト、そして少し歪で愛おしい形の目玉焼き。

僕ら(というのはつまるところ大人と言われる年頃の人たちに限定している)はご機嫌に生きることが使命だと誰かが言っていた。わたしは朝食の時間がおいしく幸せに過ぎればご機嫌に一日を過ごすことができる気がするし、きっとこれはわたしに限った話ではない。おいしい朝食は、毎日の朝を特別なものにする力を持っている。

 

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もし朝が、おまえより先に走り出してしまったら、おまえはもうとても追いつけない。とっくにし終えているはずの仕事に時間をとられて、いつのまにか終わってしまうんだ。

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これはマイケルドリス「朝の少女」の一節である。そう、朝というのは幻みたいなものだ。その存在は儚く、目を瞑っているうちに一瞬で過ぎ去ってしまう。後ろ姿を追いかけなくて済むように、僕らは目を覚ました瞬間に、朝を見つけ出すとこから一日を始めなくちゃならない。

 

話を朝食に戻そう。

僕らがご機嫌に過ごすことの一つに朝食は大きな意味を持っている。少なくともわたしにとっては。朝の澄んだ空気を楽しめることは何よりも贅沢で、さらにおいしいホットケーキなんかあったらそれはもうハッピー。単純で食い意地が張ってるやつだと思われるかもしれない。単純でもいい。僕らの大半の人は、人生を続ける選択しかできない。単純明快な思考回路で、幸せを感じている方がよっぽど楽しく、人生儲けもの、というわけである。